無職であったり、生活保護を受けていたりするとよく目にする消費者金融で新たに借金をすることは、それを考えること自体無駄なことです。

個人間融資であれば、場合によっては即日融資を受けることも可能なのでそちらを探したほうが早いし確実です。

 

身体に異変を起こし腰痛から来る歩行困難になり、病院に行ったところ脊柱菅狭窄症と診断され退職することになりました。

  • 腰痛で歩行困難に成り、当然仕事に支障をきたした
  • 軽い荷物の運搬作業も出来ず、仕事に成らない
  • 歩行すら困難な為に上司から、退職を勧告された

今までは、当たり前のように出来た慣れた仕事があるとき突然できなくなり悩みました。

病院に通院するも、加齢による脊柱菅狭窄症なので手術しても数年後にまた同じ症状を起こす事が多いので、薬や痛み止めの注射で痛みを誤魔化し病気と良いお付き合いを心掛けた方が良いとのことでした。

痛みを抱え、両足が痺れ力が入らず、何も無い所でも躓きコケるような歩行困難状態になり、情け無いと云うよりも、今後の生活を、どう生きて行けば良いのか気がめいりました。

蓄えも無く、急に仕事がなくなり動けない身体を抱えて未来を考える事すら出来ない悲しみにただ明け暮れる日々でした。

借金が困難を助けてくれた

動けない身体を抱えて生活が困窮し、どうしようも無い時に消費者金融がある事を知りました。

初めは働いて居ない上に返済出来るのだろうか。万が一取立ての方々が来たらどうしよう。と思いましたが、背に腹は代えられず消費者金融に借りることにしました。

退職しているとはいえ一時的に病欠扱いのため審査も通り無事に借りることができ、毎月の利息も安く借りた分を数ヵ月分プールして返済金へすることにしました。

その間に手術をし新たな職場に就職することができ、借りたお金も全額返済することができました。

今だに万が一の時を考え、未来の安心の為に一枚カードを持っています。

もし、あのとき借金をしていなかったら、仕事も無く生活もできず、病院代すらもなく生きていくことが出来たの定かではありません。

最初は消費者金融と云えば、意味も解らず恐いイメージが頭の中を過っていましたが、もしあの時に借りれなかったら私の人生は終わっていたかも知れません。

今を生きて行けるのも、あの時に勇気を出して消費者金融に飛び込んだおかげです。

人間、いつ如何なる時に何が有るか解りません。助け船がある時は、生きて行く為に素直にすがりましょう。

はじめは良いイメージがなかったが、今では神のように思う

消費者金融と云うイメージが恐かったのです。今思えば闇金融と一緒に思っていたのです。

TVや雑誌等で、ネガテッブなイメージを刷り込まれて居たのでしょう。

一度借りると高い利息が脹れあがり、にっちもさっちも行かない状態に追い込まれるものと思っていました。

しかし現実は、受付は優しい雰囲気の女性の方が応対して下さり、利息も最低月に数千円と安く、返した分はまた借りられる。

現在の私には、まさに神様のように感じています。

人の噂話しや、勝手な思い込みは反対に破滅へと導いていたかも知れません。

何事も自分自身で体験してこそ、見えてくる真実があるものです。

事実その時の私にとって藁をもすがる心境意外の何物でも有りません。

職を無くし働け無く身体が動けない私にとっては、借りられる所があって本当に感謝しております。

あの時、あそこで決断して無かったら、消費者金融に行かなかったらと思うと、まさに生きた心地がしません。

本当に在って良かった、開いてて良かったとは、まさにこの事です。

どちらにせよ、陥った状況なのだから同じ、生きるチャンスが有るのならば突き進む道が開いて入るならば、前を向いて一歩を踏み出しましょう。明るい未来が、もうそこまで来ています。

正直に、私自身はこれからも長いお付き合いをして行けたらと思っています。

もし、私と同じような境遇で職を無くし、食べていける糧も無いのなら、迷わず即に、消費者金融へ行ってくるように勧めます。

確かに今は、其々の事情があって働けないでいても、一時期何とか生活をする事が出来れば必ず新しい人生を迎えられることでしょう。

人生は、幾らでもやり直しがきくのだからと。まだまだ、この世の中は捨てたものでは無かったと思う事でしょう。

私も、幾度となく消費者金融に、お世話に成っていますが、働いていれば何の問題も、苦痛も有りません。

給料が少ないどきどきは、元金は減りませんが数千円の利息さえ払っておけば良いですし、給料が多くある時は、元金を多めに払っていけば良いですし、万が一に急な出費が入る時は、また借りられますので正直、苦痛よりも安心しております。

私は、悪いイメージを持って居られる方々に知って頂きたいです。

消費者金融は、決して恐いものでは無く、どうにも成らない時に手を差し出してくれる弱者の味方だという事を。